忍耐


ある若い雲水(修行僧)のお話です。 彼はある寺に住み込むのですが 一つだけ条件がありました。 寺の老師が言う条件とは 暫くのあいだ トイレ掃除をすることでした。 経典の勉強や僧侶としての振る舞い 作法等は  それが出来たら教えようと言われ 彼は了解します。 彼はその日から  一所懸命に便器を磨き 朝から晩まで トイレ掃除に没頭します。 1週間たち1ヶ月経っても 老師からは 「まだ」 の一言しかありません。 半年ほどしたある日  「こんなにきれいに掃除が出来ているのに 何処までやればいいのですか」 それは誰が見ても非の打ち所のない綺麗さで 便器は光輝いています。 老師は言います。「まだだ。」 春が過ぎ 夏が過ぎ そして3回目の春を迎えたある日 老師は 彼に言いました。  「明日から私の元に来なさい。経典から始めよう」                        というお話です。 日々積み重ねる努力をたたえ あきらめずに成すことの大事さを伝える内容の話ですが、私の職業に重ねると もっと深い意味があるのではないかと観じました。       《閑話休題》 このお話から あなたは なにを観じますか。 暫くのあいだ 観じて頂けたら 嬉しいです。 私が観じたこと。 私は40数年 日本茶の販売というか、お茶屋を生業としております。 お茶の葉とのお付き合いもそれなりにやってきましたが お茶さんを窮め  悟りを頂いたかと問われると 全く自信がありません。その日の心の保ちようで  お茶の味や香りが変化することは なんとなく分かっておりました。 夫婦喧嘩した日などは お茶さんのエネルギーもダウンし お茶を包装する機械からも ダメだしのブザー音を頂きます。まるで老師のように 「全然出来てませんよ ブー 家族もお茶も ブー やり直して下さい」 というメッセージです。 お茶さんからも機械さんからも 拒否されて どうしようと言う状態に時々陥ります。 雲水さんの気持ちがよく分かります。 彼にとって修行の場となったトイレの掃除は 

老師に自己を認めさせる手段のひとつでした。 老師に気に入られることに精を出し、老師からのYESを引き出す為に  一日一生をかけました。 しかし老師が見ていたのは トイレのきれいさや 美しさではなく  また彼の懸命さや我慢している姿でもありませんでした。 彼は途方に暮れ 悩み 自問自答をつづけます。  そして雑巾を絞り 手と足を動かし続けて 3年目のある日のこと  作業中 彼の心はなんとなく暖かく おだやかで ほんわりとやさしくなりました。 生まれて初めて便器(鉱物)さんへの 思いやりの心と 仲間意識に似たような  今までとは違う感覚が芽生えました。 《私の存在にやっと気づいて頂けましたか。 ありがとう  今日はもう磨かなくても良いですよ》  というトイレからのサインに気づいたのです。  老師が 我慢一途のプライドが高く 口うるさい 教えたがりの老師であったなら  彼は3日でその寺をやめていたか、死ぬまで我慢することになっていたでしょう。 そして 忍耐が出来たと 錯覚して こんなふうに自分自身を納得させます。 「苦痛に耐えた修行だった ここまで綺麗なトイレは他にはない。私の便器は世界一だ。。」 サポート役の老師はさすがです。 僧侶の本来の役割とは、経典を学び 理解し その意味を教え  伝えることではなく、 第一は死者との交流を図り この世に誕生した時のその人の本質(たましいに近い?)を より高いレベル(時空元)へと 最終的に導くことだと思います。 寺はその為の教育の場のはずでしたが

残念ながら現在は 初詣や旅行のスポットになってしまいました。 ある人が言われたことですが  《我慢》とは「自我」であり 「欲」だそうです。 そして《忍耐する》は 我慢とは全く違う 別次元のことのようです。 私が観じる「我慢」とは ハートを閉じた状態が継続するという意味です。 この状態を続けると 相手を思いやり 受け入れることが大変難しくなっていきます。 逆に意識が 少しでもハートを活性化させる方向に向かうと  悲しみと観じることや 苦しみと観じること  恐怖 怒り 不安 差別 比較 あこがれ 偏見 プライド  競争 貪欲 執着 物欲 金銭欲 我慢等の 自我や欲が自然と減少していきます。 簡単に言いますと 楽(ラク)になります。 やがて 目で見ることも 耳で聞くことも 口で言う必要もなくなり、 直観さえも ハートを通じて 観じ 受け取ることが出来るようになるそうです。 私達は生活していく上で 大なり小なり 目標設定をします。 いつ どこで 何をするのかを。 しかしそこで見逃しやすいのは 《何のために》 それをするのかです。 枝葉(自我)の部分では 百人百葉ですが 根は一つです。 根(本質)に意識が根付く作業が修行であり  忍耐するとは その為の体験と実践を継続することではないでしょうか。 《忍》の字は 真剣の刃(やいば)を 心の上に 置きます。。 コワイけど何か深いですね。 また 心 は本来 一点の曇りのない鏡のような存在であり  日々 刻々 降りかかる、あるがままを、 ありのままに映し出す              忍耐とは  《心の窓を開き 実践し続けること。》   忍耐の決心をされた  あなただけに・・・  心を磨き 刃も磨く、最高の砥石(といし)を お教えしましょう。 それは家族です。 家族一人一人と 本当の交流が始まると  何の為に生まれ 何のために生きているのかという  大命題も 少なからず見えてきます。 本質に気づこうともせず、かっこいい家族の幸福を追いかけても、  そこに残るのは 我慢に裏打ちされた ボロボロの刃と 歪んだ鏡だけ・・・ かも。 雲水さん たったの3年で・・凄いですね。  トイレの神様という歌がありましたが、進化をサポートする神様は  いつでも、どこにでも 宇宙中に あふれているのですから。

最近 日課にしようと決めたことがあります。 「今日はどれくらい 心の窓を開けただろう?」 と                                


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ラジオ体操の前に はーい~大きく息を吸って 思い切り息を吐いてください~。 健康法として森の中に入り清々しい空気に浸る精神的な効能の他に 樹木から発散される芳香性物質フィトンチッドによる科学的な効果も見込まれる。 これが森林浴の意味のようです。 ラジオ体操も森林浴も気持ちは良くなります。が ストレス解消の吐く息は、 環境汚染物質、エゴのエネルギーとして空気中に拡散し、 振動波として残ります。 新鮮